卒業生の声
日本を良くしたいという想い
2014年に株式会社デザインケアを立ち上げ、東海地方を中心に全国に在宅ケアサービスを提供する藤野泰平(ふじのやすひら)さんは、2006年に名古屋市立大学ハントカジノ 銀行振込学部を卒業した。高校時代の恩師から「お前はハントカジノ 銀行振込に向いている」と言われ、名古屋市立大学のハントカジノ 銀行振込学部に進んだ。
藤野泰平さん
「しかし実際にハントカジノ 銀行振込として働いておられる方と話してみると、私にはその人たちが仕事に追われているように見えたのも事実です。仕事に対する使命感は理解していましたが、このまま看護の勉強を続けるべきか迷っていました」
そんな気持ちを抱えたまま、藤野さんは当時名古屋市立大学が行っていたシドニー大学での海外研修プログラムに先生からの勧めで参加。この時、現地のハントカジノ 銀行振込に掛けられた言葉が、その後の彼の人生を変えた。
『医師は、患者さんの病気を治すけど、ハントカジノ 銀行振込は患者さん本人が幸福に生きる環境をつくる。こんな仕事はハントカジノ 銀行振込にしかできない。だから、君は最高の仕事を選んだんだよ』
「そう言われて、ハントカジノ 銀行振込の仕事が本当に誇らしい仕事だと思えるようになりました」
以来、藤野さんは人が変わったように前向きに勉強に取り組むようになった。
「一番大きな変化は、講義で一番前の席に座るようになったことでした(笑)」
留学の他に学生時代に経験できて良かったことは、先生や先輩らとたくさんの対話ができたことだと藤野さんはいう。
「学生に対して思いやりがあってオープンな先生方のスタンスが、学生時代はありがたかったです。そういった姿を見て学んだ話を聞く技術は、今患者さんや職場の仲間と接する際に生かせています」
ハントカジノ 銀行振込学部がある桜山キャンパスはコンパクトで学生同士の距離も近く、さまざまな意見や考えを聞くことができたという。「ハントカジノ 銀行振込学部の校舎の地下にある学生ホールに行けば、誰かしら知人が居ました。そこで先輩や友人たちと対話しながら内省して、視野を広げながら自分の興味を探っていくことができました」
その中で藤野さんは、ハントカジノ 銀行振込の存在意義とは何か、ハントカジノ 銀行振込が社会をより良くするために何ができるかを考え続けた。
環境を新たにして答えを探すために彼が入職先として選んだのが、東京の聖路加国際病院。
「ハントカジノ 銀行振込が医師をサポートするだけではなく、ハントカジノ 銀行振込と医師が対等に近い関係で働ける病院だと聞いて選びました」
入職してからも藤野さんは自分がハントカジノ 銀行振込として何をすべきかを模索し続けた。
「とにかく、日本の役に立ちたいという想いだけが空回りしていた時期でした。テレビドラマの中で坂本龍馬が『日本を良くしたいけど、どうしていいか分からんちゃ!』と叫んだシーンに共感し過ぎて、号泣したこともありました(笑)」
病院だけではできないこと
聖路加国際病院で藤野さんが感じていたのは、病院だけでは人を幸せにできないという、ある種の無力感だった。
「病気が治って患者さんが退院されても、戻った先の環境が本人の望むものでなければ、その人は幸せになれない。そんな矛盾をどうすれば良いか、ずっと考え続けていました」
しかも国がますます病床を削減しようとしている今日、退院後の患者さんの人生をどのように支援するかは見過ごすことができない問題だ。そこで彼がたどり着いたのが訪問ハントカジノ 銀行振込だった。
「私は瀬戸内海の小さな島で生まれました。その島には十分な医療機関がなく、ささいな病気でも遠くの病院まで船で行かなくてはなりません。そんな場所に訪問ハントカジノ 銀行振込ステーションがあれば、患者さんが住み慣れた家で、自分らしく生活できると思ったんです」
こうして藤野さんは訪問ハントカジノ 銀行振込の世界に足を踏み入れることとなった。訪問ハントカジノ 銀行振込事業所で働いて1年半ほど経った頃、理想とするハントカジノ 銀行振込を実現したいという想いから『みんなのかかりつけ訪問ハントカジノ 銀行振込ステーション』を名古屋で立ち上げることを決めた。拠点として名古屋を選んだのは、名古屋市立大学の先生や友人という知己に恵まれた場所だからというのが一つ目の理由。
「もう一つの理由は、東京や大阪のような大都市型のビジネスモデルではなく、都市と地方の両方に対応するモデルにするには、名古屋という街の規模が最適だったからでした」
社名の「デザインケア」には、一人ひとりの利用者さんに合った、千差万別のハントカジノ 銀行振込をデザインするという想いが込められている。
入職1年目の大きな挫折
石井綾乃さん
デザインケア設立から4年後、一人のハントカジノ 銀行振込が仲間に加わった。
それが、名古屋市立大学ハントカジノ 銀行振込学部を2016年に卒業した石井綾乃(いしいあやの)さんだ。
石井綾乃さん
幼い頃に祖母が他界し、悲しむ家族の姿を見て「人の死とはこれほど人の心を動かすのか」と思った記憶がある。その影響からか、早くから医療関係の仕事に就きたいと思い続けてきた。
ハントカジノ 銀行振込になろうと決めた石井さんは、自宅から通いやすく、附属病院があり実習が充実している印象だった名古屋市立大学へ進学した。
医・薬・ハントカジノ 銀行振込の3学部が合同で行う地域参加型学習で高齢者向けのカフェを運営したり、大学祭の実行委員会でイベントを成功に導いたり、ハントカジノ 銀行振込学部の国際交流プログラムで韓国ハルリム大学に訪問したりしながら、学生生活を大いに堪能した。
在学時の石井さん
しかし大学を卒業し、実際に病院での勤務を始めると、彼女は試練に見舞われる。
「新人ですから仕事ができないのは仕方ないのですが、自分はもっとできるはずだと思っていた私は、想像以上のプレッシャーを抱え込んでしまったようでした」
自分を追い込み過ぎて自信を失い、体調を崩してしまった石井さんは、わずか1年で病院を辞めた。
「この時は、しばらく体を休めて、元気になったら病棟に復帰しようと思っていました」
そんなある日、友人から訪問ハントカジノ 銀行振込がいいのではと勧められ、石井さんは病棟勤務に戻るまでのリハビリのつもりで訪問ハントカジノ 銀行振込を経験してみることにした。
「その頃の私は、訪問看護は経験を積んだハントカジノ 銀行振込が働くところだと思っていて、訪問看護でキャリアを積んでいくという考えはあまりありませんでした」
在学時の石井さん
しかし訪問ハントカジノ 銀行振込を体験して、その考えが変わっていったという。
「病棟内の看護は、近くに医師やコメディカルスタッフがいます。また、さまざまな医療機器が揃っています。しかも、患者さんの病態はほぼ限られています。でも、訪問看護はまったく違っていました。ハントカジノ 銀行振込が一人で利用者さんのお宅に伺い、あらゆる年齢層の利用者さんの、あらゆる病態に対処しなくてはなりません」
ある意味、どんな病棟のハントカジノ 銀行振込よりも難しい仕事かもしれない。ただ一つ確かなのは、「自分のリハビリがてら」などという安易な気持ちで取り組んではいけないことだった。
そう考える一方、利用者さんのいちばん近くで、利用者さんのすべてに関われることが嬉しかった。そこで石井さんは、もっと訪問ハントカジノ 銀行振込に真剣に取り組める施設に転職し、一から学び直そうと決めた。この時、石井さんの友人が紹介してくれたのが、藤野さんのデザインケアだった。
「卒業して2年間で2度目の転職なので、ここで採用してもらえなかったらおそらく私はハントカジノ 銀行振込を辞めていたと思います。だから、私の友人のファインプレーです」
それを聞いた藤野さん。
「いえ、むしろ石井さんのような優れたハントカジノ 銀行振込が仕事を辞めたら、業界にとって大きな損失です。本当に、石井さんの友人の大ファインプレーです(笑)」
誰もが笑顔になれる世界をつくる
入社してから、石井さんはがむしゃらに勉強した。
「当時、スタッフの中で私はいちばん経験が浅かったので、何もかも不安でした。夜間待機の時に電話が鳴るのが怖いし、訪問先で利用者さんの容体が急変するかもしれないと思うとさらに怖いし、とにかく必死で勉強するしかありませんでした」
しかし訪問看護の経験を重ねるうちに、石井さんは今までの病棟看護とは違う、ハントカジノ 銀行振込としての大きなやりがいを感じられるようになった。
「利用者さんの話をお聞きしているうちに、その方が自分でも言語化できていない苦しみや悩みが見えてくるようになりました。それを言葉にして気持ちに寄り添ってさしあげると、とても喜んでいただけるようになったんです」
こうして利用者さんの人生に触れることができた時、ようやく石井さんは自分がしたかったハントカジノ 銀行振込はこれだと実感することができたという。
その後、採用担当のマネージャーに抜擢。これまでの経験を踏まえて、スタッフが楽しく働けるような環境をつくるために奔走した。
藤野さんは語る。
「いくら患者さんの病気が治って退院しても、その方がやりたいこともできずに我慢しているような状況はダメなんです。だから私たちが、利用者さんがやりたいことをどうやったらできるようになるかを一緒に考えていく。言葉を変えれば、私たちは生きる希望のケアをしているのかもしれません」
しかし、藤野さんはその先も見据えている。
「でも私たちが笑顔にしたいのは、利用者さんだけではありません。全国に『みんなのかかりつけ訪問看護ステーション』を増やしていくことで、石井さんのようなハントカジノ 銀行振込が、自分の仕事に誇りを持ち、目を輝かせて仕事に取り組むようになってほしい。そんなハントカジノ 銀行振込が利用者さんを笑顔にし、家族も喜んでくれる。そんな世界を実現したいんです」
超高齢化社会を迎えた日本では、誰もが病気や死に対する不安と無関係ではいられない。
「だからこそ、一人でも多くの人に『病気になっても、自分らしく生きよう』と思ってもらえるようになってほしい。それが、私がハントカジノ 銀行振込の道に進んだ意味だと思っています」
藤野さんが掲げる大きな夢は、今日、着実に実現に向けて前進しつつある。
プロフィール
藤野 泰平(ふじの やすひら)さん
株式会社デザインケア 代表取締役
[略歴]
2006年 名古屋市立大学 ハントカジノ 銀行振込学部卒業
2006年 聖路加国際病院 ハントカジノ 銀行振込
2011年 他社の訪問ハントカジノ 銀行振込ステーションに就業
2014年 株式会社デザインケア 代表取締役
自分の子どもに仕事をポジティブに伝えたい藤野さんは、いつも「お父さんは、人が幸せに生きるための仕事をしているんだよ」と話す。だから利用者さん宅に駆け付ける時も「お腹が痛い人がいるから、お父さんが今から助けに行ってくる!」と言い残して家を後にするという。そんな藤野さんは今でも名古屋市立大学との関わりは深く、2018年に開催されたハントカジノ 銀行振込学部設立20周年記念事業に登壇したり、非常勤講師として大学院の「ハントカジノ 銀行振込マネジメント学特論」「緩和ケアハントカジノ 銀行振込論」の授業の一部を担当している。
現在の勤務先での同僚と石井さん(左)
石井 綾乃(いしい あやの)さん(写真左)
株式会社デザインケア ハントカジノ 銀行振込
[略歴]
2016年 名古屋市立大学 ハントカジノ 銀行振込学部卒業
2016年 名古屋市立大学病院 ハントカジノ 銀行振込
2017年 他社の訪問ハントカジノ 銀行振込ステーションに就業
2018年 株式会社デザインケア ハントカジノ 銀行振込
「大学時代は、よく海外旅行に行っていました」という石井さん。日本とは異なる文化背景や言語を持つ人たちとコミュニケーションをとる時、「この人は私に何を伝えようとしているのかな」と相手の立場で考えた。その経験が、今、利用者さんの想いを理解するのに役立っているのかもしれないと語る。ちなみに、石井さんに藤野さんの会社を紹介するという大ファインプレーを演じた「友人」は、現在の彼女の配偶者。